〜今までの歩み〜
1995 司牧センター内に、市内のカトリック教会有志の婦人達が、ホームレスのために衣類を集め整理をした。
1998 福岡おにぎりの会が管理し、名称を古着バンク(後に衣類バンク)とした。
1999 フランスから、エルベ氏がボランティアとして来日した。衣類に加えてコーヒー、またホームレスのボランティアによって、パンの耳が提供されるようになった。
2001 エルベ氏がフランスへ帰国後も、火曜日・金曜日に、コーヒーとパンの耳の提供がおこなわれた。
2001 秋頃より、ほんのわずかなご飯に手製のふりかけや、少しの野菜の煮物も提供するようになった。しかしそれはほんの一口でしかなかった。
2002 1月より、正確な人数把握のために、ごはん券を配るようになった。
2002 5月より、福岡おにぎりの会より独立した。
2002 12月から翌年の2月にかけて、テレビ局全局がこちらの炊き出しの様子を報道した。以後、毎月約30キロの米や衣類などを送ってくださるなど支援者が増えた。
2003 グリーンコープ生協の福祉基金をうけるようになった。この時、冷蔵庫、丼、大鍋その他の用品をそろえることが出来た。
2005 4月より週2回の炊き出しに支障が出たため、週1回となった。
2007 名称を美野島めぐみの家と改め、組織を整えて新しくスタートした。
2007 九州ホームレス連合が発足し、加盟した。
2007 グリーンコープ生協から、支援物資として、野菜と果物を毎週いただくようになった。
2007 セカンド・ハーベストから、支援物資として、調味料や菓子・飲み物などをいただくようになった。
2008 春に教会堂の床の張り替え、秋に衣類を入れる倉庫を、倉重氏の指導のもとに皆で完成させた。
2008 10月より来訪者が増えだした。世界金融危機による派遣切りや雇止めで、新聞社やテレビ局が取材し、炊き出しの様子が大きく報道された。
2009 3月から生活保護申請が誰でも可能になり、ホームレスから自立する人たちが急増した。 
2009 10月美野島めぐみの家はNPO法人の資格を取得した。
2010 11月から「パーソナルサポート事業」が始まる。この事業は国のモデル事業で、全国5カ所の市に委託され、支援団体が委託を受けて実施する。福岡市での名称は「福岡絆プロジェクト共同事業体」。 
2011 6月よりホームレスのために「利用証」を発行した。自立した人達には食事代として100円を払っていただき、活動を支える側になって下さる事を願っている。
2012 11月、野宿で亡くなった方の為のお別れ会を始めた。
2013 1月、野宿者ボランティアによる町内ゴミ拾いを開始した。
2015 12月、小宮豊医師による健康相談を終了した。
2016 1月、林晃一医師による健康相談を開始した。
2017 3月、美野島公園(野外)での配食開始(司牧センター建て替えの為)
2018 4月、新美野島司牧センター完成、司牧センターでの活動再開
2020年 3月、新型コロナウィルス感染防止のため、美野島司牧センターにおける炊き出しを中止にし、公園での弁当弁当配布に切り替えた。
4月、公園における弁当配布の対象をホームレスに限定することにした。
6月、司牧センターでコロナ感染予防対策をしつつ座席数減での活動再開
2021年 1/19〜3/2、5/18〜6/15、8/17〜9/28はコロナによる非常事態宣言中の為、司牧センターにて弁当・衣類等配布、その他の期間は従来通り室内配食
2022年 2/1 野宿者のみ公園で弁当、2/8〜3/21司牧センターにて弁当・衣類配布
HOME